秋元梢の両親、父・千代の富士と母・秋元久美子:出会い~結婚まで
2018年4月に松田翔太との結婚発表をし、「最強2世カップル」として様々なメディアで話題となった秋元梢さん。ファッションモデルとして活躍している秋本梢さんですが、実は彼女の両親である千代の富士さん・秋元久美子さんも「最強カップル」なのです。
父親の千代の富士は、大相撲第58代横綱であり、1990年には当時前人未踏だった通算1000勝の大記録を残した最強の男。現役力士を引退後は、九重親方として現役の力士たちの指導をしたり、日本相撲協会の理事を担当したりなど、裏から相撲業界を支えてきました。
母親の秋元久美子さん(旧姓:進藤久美子さん)は、第2・5代玄洋社社長の進藤喜平太の曾孫で、元福岡市長の進藤一馬の姪孫。玄洋社記念館の館長・玄洋ビル社長を努めた進藤龍生を父親に持つ女性。
「玄洋社」は、黒田藩(旧福岡藩)を中心に結成された、アジア主義を掲げる政治団体であり、明治時代から敗戦までの日本では政財界において大きな影響力を持っていたとされています。
そんな玄洋社を担ってきた人物の血を引く秋元久美子さんは、日本国内でも歴史のある、由緒正しき家系のお嬢様といえるでしょう。
2人が出会ったのは、久美子さんが働いていた福岡のスナックとのことで、約2年の交際を経てプロポーズ・結婚に至ったのだそうです。1982年5月にはメディアを通して婚約発表を行いました。
ちなみに「時事ドットコムニュース」には当時の写真が掲載されており、たくさんのマイクに囲まれながら、恥ずかしそうに記者会見を行う千代の富士・久美子さん夫婦の姿から、発表当初も高い注目・話題性を誇っていたのでしょう。
秋元梢の両親、父・千代の富士と母・秋元久美子:結婚後の生活、夫婦仲
結婚後の千代の富士・秋元久美子さん夫婦の生活は円満。特に千代の富士は、子供が誕生してからは「子煩悩な父親」を思わせる雰囲気・言動が多く見られました。
1983年7月には、現在ではファッション界で高い注目を誇るモデルとして活躍している、長女の優さんが誕生。
優さんが誕生した頃のインタビューにおいて、千代の富士は「一家のあるじとして頑張るぞという気持ちになった。優勝したら子供を抱いて賜杯と一緒に写真を撮りたい」と話しており、横綱としてますますの活躍ぶりをみせていました。
また、地方巡業へ出る時には、娘が自分の顔を忘れないようにと、夫婦は千代の富士の写真をつけた巨大パネルを用意し「これがパパだよ」と教えていたという、ユニークなエピソードもあります。
ちなみにその後の1984年、九州場所で10回目の優勝を決めたことに対しては、千代の富士の姉・小笠原佐登子さんが「長女と一緒に写真を撮るために頑張ったみたいです」と答えており、子供のために頑張る最強の父親としての一面を見せていました。
その後、長男で優さんと同じくファッションモデルとして活躍する剛さん、次女・梢さんも誕生しました。
また、末娘に愛さんがいましたが、1989年にSIDSによってわずか4ヶ月で他界。夫婦にとって大きなショックであったようで、葬儀から2週間後の名古屋場所において、千代の富士は体重が4キロ減。首から数珠をかけて場所入りする姿が、メディアで話題になりました。
秋元梢と母・秋元久美子:親子仲
ファッションモデルとして、東京ガールズコレクション・パリコレなどの大型ファッションショーに多数出演する秋本梢さん。
両親の教育方針上、子供の頃から甘やかされた経験はほとんどなかったのだそうですが、本人はメディアにおいて「普通と変わらない家庭で育った」と話しています。
母親との親子仲については、秋元久美子さん自身がなかなかメディアに出演しないこともあり、詳しくは語られていません。
しかし不仲説が立っているわけでもなく、梢さんが松田翔太さんと結婚する時には、特にトラブルなどもなく承諾していることから、ごく普通の仲の良い親子であると考えられます。
秋元梢さんの家族について、下記記事にもまとめてあります。
秋元梢の姉・弟(千代の富士の娘・息子)、秋元優・剛はどんな人?