平野レミの祖父はどんな人?
終始ハイテンションでの早口レシピ解説・明るくてインパクトのあるキャラクターが、高い人気を誇っている料理愛好家・平野レミさん。
料理番組・バラエティー番組を中心に数多くのテレビ番組にも出演している平野レミさんですが、実は昨今、彼女がとんでもない血筋・家系の人間であるとして、SNSを中心に話題となっています。
平野レミさんの血筋や家系が判明したのは、2020年3月26日に放送されたTBS系バラエティー番組『スパニチ!! 鶴瓶×マツコ おじゃまします』での一幕。
平野レミさんの祖父は、なんと弁護士であり日本美術史家としても知られる、アメリカ人の美術愛好家のヘンリイ・パイク・ブイさん。
息子の威馬雄さんが子供の頃に聞いたエピソードによると、ヘンリイ・パイク・ブイさんは、カリフォルニア州生まれで、カリフォルニア大学卒業後は実業界に入り、億万長者になったのだとか。
祖先はスコットランド貴族の家系にあたり、一族にはナポレオンの最初の皇后であるジョセフィーヌがいたとのことですが、真偽は不明なのだそう。
またヘンリイさんは過去に浮世絵を研究し、俳句や連歌、能などといった、多彩な日本文化に熱中したとされ、来日後は常に和装を着用するほどの日本文化好きとして知られています。
京都・東京に住んでいた頃には、日本画家の西川桃嶺や、久保田米僊などから指導を受け、滋賀県出身の能書家である巖谷 一六(いわや いちろく)からは「武威(ぶい)」という雅号を受けています。
各地の大学で日本美術に関する講演会を開き、後の1905年には『サンフラシスコ日米協会』を創設。初代会長として、日本美術の素晴らしさを広めていました。
1972年には、息子によって翻訳された『日本画の描法』という著書も展開していることから、日本美術に対する膨大な知識と、この上ない愛を兼ね備えた人物といえるでしょう。
ちなみに東京には「武威」こと、ヘンリイさんが書いたとされる日本画が残っているのだとか。
また、当時排日運動が激しかったアメリカにおいて、日米親善・日系移民の権利擁護に貢献し、明治天皇からは親日の功によって「旭日勲二等」を授与された偉人でもあります。
ヘンリイさんが暮らしていたサンフランシスコの地域は、アメリカのなかでも特に当時排日運動が激しいエリアであったからか、アメリカで迫害にあった日系移民を、カリフォルニア州サンマテオにある自邸に招いては彼らを励まし、職を与えるなどをしていたとのこと。
1899年(当時51歳)には、明治天皇に使えていた平野駒さん(平野レミさんの祖母)と結婚。1900年に長男の威馬雄(平野レミさんの父親)さん、1908年には次男の武雄さんが誕生しています。
平野レミの父はどんな人?
ヘンリイさんと平野駒さんの間に生まれた、平野レミさんの父親・平野威馬雄(ひらの いまお)さんはフランス文学者であり、同人誌『青宋』を主宰した詩人として知られています。
学生時代からフランス文学に熱中しており、後に衆議院議員となる加藤鐐造や、「清水一郎」という名前で俳優となる清水長一らとともに、同人誌『エトワル』を創刊。
その後『文章倶楽部』や『中央文学』などの文芸雑誌に詩・短文を投稿し、様々な賞を受賞し、「日本近代詩の父」として有名な詩人・萩原朔太郎から作品を称賛されたこともあるようです。
自身が幼少期よりハーフであることで差別された経験を持つことから、戦後には、計7人の混血児たちを自宅に引き取って面倒を見るなど、混血児の救済に奔走したとされています。
1986年11月11日に、86歳でこの世を去りますが、威馬雄さんの墓前では毎年、生まれた日である5月5日に墓前祭として「青宋忌」が行われるのだそう。
ちなみに「松戸 淳」という名前で好色文学の翻訳も手がけており、京都の橋下にて淫売を買って重度の梅毒に感染したり、2度の結婚で9人もの子供を持っていたりすることから、「性」に対する関心が比較的強い男性であったといえるでしょう。
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