松居一代と船越英一郎が結婚反対されていた理由!

芸能人

松居一代さんと船越英一郎さんが結婚したのは2001年、今から16年前です。

当時、松居一代さんは44歳で前夫との12歳の息子がおり再婚、船越さんは3歳年下の41歳で初婚でした。

 

二人の結婚式、披露宴には船越さんのご両親は欠席していました。

船越さんの父、元・俳優の船越英二さんは二人の結婚を反対していて、バツイチ子持ちの松居一代さんとの結婚がどうしても許せなかったそう。

船越英二さんは2007年に死去されるまで結局「結婚反対」を貫き、松居さんとは一度もお会いしなかった、ということですが、

そこまで反対されたのはなぜでしょうか?

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父・俳優 船越英二

父・船越英二さんは大正生まれで、代々続いてきた船越家の家系をとても大事にしていたそうです。

船越英一郎さんで34代目まで続いた家系で、男子が必ず血筋をついできたことに強いこだわりがあったため、バツイチ子持ちで年上女房の松居さんを受け入れ難かったようです。

そんな父・船越英二さんも栄一郎さんと同じく役者をされており、二枚目俳優として映画やドラマと大活躍されていました。

くっきりした二重とスッとした高い鼻で、西洋の俳優さんのよう、とてもハンサムです!

息子さんの英一郎さんとは随分違うタイプの男前なお父様です。

船越英二さんは、1947年のデビューから2001年の俳優引退まで54年間にわたり数々の作品に出演されてきました。

近年ではNHK大河ドラマ『信長』や暴れん坊将軍が有名作でした。

その功績が認められ、紫綬褒章 勲四等旭日小綬章を受章されています。

また、英二さんは35歳の時、女優をされていた長谷川裕見子さんと結婚し、1960年に長男の栄一郎さんが誕生しました。

元女優、母・長谷川裕見子

船越英一郎さんの母親・長谷川裕見子さんの家系もまた華やかでした。

祖父の飯島二郎さんは、日本に鉄道が普及する際、建築・土木業で大成功した明治の実業家だったそうです。

さらに、長谷川裕見子さんの叔父は、俳優で初の国民栄誉賞を受賞した時代劇スターでした。

長谷川裕見子さんも時代劇映画を中心に活躍していました。息子・栄一郎さんが14歳になる1974年を最後に女優業はされていませんでした。

旅館開業『旅荘 船越』

栄一郎さん誕生後、1965年には俳優業のかたわら、会員制旅館『旅荘 船越』を開業され、家系を大事にされていた英二さんはもちろん息子・栄一郎さんに旅館を継いで欲しいと考えておられたそうです。

しかし、栄一郎さんは旅館を継がず俳優の道を選ばれたので、妹の平野洋子さんが両親と一緒に経営に携わっておられました。




妹の死

旅館経営を一緒に支えていた栄一郎さんの妹・平野洋子さんは、女将として旅館経営の中で長時間にわたる重労働の無理がたたり、パニック障害とうつ病を発症され、数年間にわたり病と闘っておられました。

2006年にはその闘病経験をまとめられ本「梅一夜」を出版、第5回湯河原文学賞最優秀賞を受賞し、さらに2009年にもエッセイ「医は仁術」で日本医師会賞入賞。

病を公表とともに前向きに病も回復していくものと思われていましたが、200910月に旅館を閉館し、翌年に残念ながら旅館のはなれで自殺されていたところを発見されたそうです。

実は母は反対していなかった?

父・船越英二さんは2007年に自宅で倒れ、脳梗塞により84歳で死去されました。

その後、母・長谷川裕見子さんは松居一代さんを家族として関係を修復し、松居一代さんが毎日電話をくれたり、栄一郎さんの妹・平野洋子さんも誘い、一緒に旅行へ行ったりしたことを明かしていました。

松居一代さんを「本当に優しい人」と語っておられたそうです。

松居さんと船越さんの結婚を大反対していたのは、父・船越英二さんだけだったようですね。

妹・平野洋子さんが亡くなられた同年、2010年、母・長谷川裕見子さんは転移性肺ガンで85歳でこの世を去られました。

最後には船越さんと松居さんが病室へ駆けつけ、母親の手を握りながら息を引き取ったそうです。

身内を失った船越英一郎さんは精神的に辛かったでしょうね。

 

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