オノヨーコの現在とは|子供・病気・若い頃の馴れ初めや家系図が話題の理由について

海外

ジョンレノンの妻であり芸術家のオノヨーコさん、病気報道の後、現在はどのような状況なのでしょうか?

オノヨーコの芸術作品『yes』や世界中を驚かせた『ベッドイン』など最も有名な日本人の一人と言えます。

オノヨーコさんとジョンレノンの息子や、もう一人の子供(娘)、注目される家族について。

オノヨーコの現在は(2019年)

A post shared by Yoko Ono (@yokoonoofficial) on

2019年現在86歳のオノヨーコさん。

  • 本名:ヨーコ・オノ・レノン(日本名:小野 洋子)
  • 生年月日:1933218

オノヨーコさんが脳卒中で救急車で病院に運ばれた!?と「重病報道」がされたのは2016年2月でした。その後、病院に運ばれたのは脳卒中ではなく、原因はインフルエンザと判明し、翌日には退院発表があり多くの人が安心した事でしょう。

しかし、2017年4月、ニューヨークのセントラルパークで撮影されたオノヨーコさんは車椅子に乗った弱々しい姿で、体調が心配されていました。

2019年3月には、結婚50周年記念として1969年にジョン・レノンさんと共作した「ウェディング・アルバム」が再リリースされています。

80代後半と高齢なオノヨーコさん。雑誌社の取材にオノヨーコさんの弟(小野啓輔さん)が答えたことにより病名が話題となりました。

オノヨーコの病気とは

病名は「DLB(レビー小体型認知症)」と言われるもの。病気などが原因で脳の働きが衰えてしまい、幻覚が見えるなどの症状が出たり、自力で生活していくのが難しくなるという認知症の一種。


レビー小体型認知症の症状は、会話の理解力が低くなる、記憶障害、パーキンソン病のように体が固くなって動きづらくなったり、手が震えるというものなどがあるといいます。

そして他の認知症とレビー小体型認知症を区別する大きな特徴が、発症初期から現れる幻覚の症状です。

レビー小体型認知症の主な症状

また幻覚はレビー小体型認知症では、良く見られる症状となります。レビー小体型認知症とはアルツハイマーに続いて多く見られるもので、脳の神経細胞がたくさん集まった部分に、異常なたんぱく質が溜まってしまい、初期段階でも幻覚を見る事があるものです。

その為認知症だとは思っていない時に、知らない人がいたなどと訴え、幻覚だと気付かず慌てる事も。その他お年寄りに多い病気であり認知症とも関わりがある、パーキンソン病の薬の副作用でも幻覚を見る場合があります。

引用:https://info.ninchisho.net/symptom/s90

レビー小体型認知症の方への接し方も紹介されています。

  • 見えないものが見えるなどの症状が出ると周りの人は困惑しますが、本人にとっては見えていて嘘ではないので、周囲もそれを否定してはいけない。
  • 話を合わせて、安心させてあげることで落ち着く。

オノヨーコさんにどういった症状が出ているのかは不明ですが、2017年8月18日に放送されたNHK「ファミリーヒストリー」にオノヨーコさんが出演した際には「すごい病気にはなったけれど、なんともないの」と重病説を否定しています。

病気であると言われてからも、20171月には反トランプのデモに参加したり、アメリカの銃規制について触れたり、政治的なメッセージを発しています。

母の日には子供の頃のオノヨーコさんとお母様の写真をツイートもしています。

2008年NHKの番組に出演された際に、

「今74歳ですけど、毎日何か発見してるんです。自分の人生がそういうものであることに感謝してます。あと50年くらい欲しいですね。50年くらい生きられたらいいと思ってますね」

と100歳以上生きたいと意欲を語っていたオノヨーコさん。

オノヨーコ家系図が話題の理由

オノヨーコさんを語る上で話題に上がるのが、その家系図。実はオノヨーコさんはとんでもない名家の出身なのです。

オノヨーコさんは父・小野英輔さん、母・磯子さんのもとに長女として産まれました。

父親の小野英輔さんは、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)の前身、横浜正金銀行の常務。父方の祖父・小野英二郎は元日本銀行の第四代総裁でした。

母親の磯子さんの家系はなんと、旧4代財閥の1つである安田財閥の家系です。

母・磯子さんの祖父は、創業者である安田善次郎さん。安田銀行を設立し、現みずほフィナンシャルグループ、損保ジャパン、明治安田生命など発展させています。

つまりオノヨーコさんは、安田財閥の創始者、安田善次郎さんのひ孫にあたるのです。

伯父・安田周三郎さんは画家、伯父・安田岩次郎さんは彫刻家、叔母・小野アンナさんはバイオリニスト、従兄弟の岩井茂雄さんは画家と、芸能にも秀でた家系です。なんとも華麗な経歴をお持ちです。

オノヨーコの妹・節子

オノヨーコさんの妹、小野節子さんもオノヨーコさんに劣らない凄まじい経歴を持っているのです。

小野節子さんは1941年生まれ。オノヨーコさんとは8歳離れています。

 

View this post on Instagram

 

A post shared by Uenaka (@yukiuenaka) on


1952年に父・小野英輔さんの東京銀行ニューヨーク支店長赴任のため5年間アメリカで過ごし、1963年に聖心女子大学英文科を卒業。そしてスイス・ジュネーブ大学付属高等国際問題研究大学院で博士号を取得します。

そして小野節子さんは、1976年に100倍以上の狭き門である国際機関、世界銀行に入行します。

世界銀行の面接では「世界銀行の公務員がどんな悪いことをしたか」という非難の内容を話した結果、面接当日に合格したという逸話も持っています。

小野節子さんの初任地は西アフリカのモーリタニア。国土の約90%が砂漠のモーリタニアは食糧難に悩まされる貧しい国でした。

小野節子さんは「砂漠に川を作る」プロジェクトを考案しますが、140億円の資金が必要なために上層部からは猛反対をくらいます。

それでも諦めず、国際会議に出席して「お金のある先進国より、貧困に悩む国の未来に投資すべき」とプレゼンし、なんと13の国や基金から賛同を得ることに成功します。

世界から認められた小野節子さんは2001年にはシニアアドバイザーとして世界銀行の組織開発基金の管理を担当。2005年には著書「女ひとり世界に翔ぶ」を発行されています。

夫は学者であるイタリア人のピエロ・グライェーゼスさん。小野節子さんは世界銀行を退職した後、彫刻家として活動しています。

若い頃のオノヨーコとジョンレノンの馴れ初め

 

View this post on Instagram

 

A post shared by Yoko Ono (@yokoonoofficial) on

1960年、27歳のころの若いオノヨーコさん。

 

View this post on Instagram

 

A post shared by Yoko Ono (@yokoonoofficial) on

ジョン・レノンさんとオノヨーコさんが結婚したのは1969年3月20日。二人の出会いは3年前の1966年。

芸術家・オノヨーコと、20世紀を代表するイギリス出身のロックバンド『ビートルズ』のリーダー的存在ジョン・レノン。

世界的に有名なビッグカップルとしても知られている2人の出会ったきっかけというのが、1966年の11月にロンドンのインディカ・ギャラリーで行われたオノヨーコの個展にジョン・レノンが訪れた時のことです。

 

View this post on Instagram

 

A post shared by Yoko Ono (@yokoonoofficial) on

数ある前衛的な作品のなかで『天井の絵』というタイトルの作品を見つけたジョン。

脚立にのぼり、天井からぶら下げられた虫眼鏡で天井の文字を見るという作品。そこに書かれていた言葉は「YES」。

このメッセージに衝撃を受けたことから、ジョン・レノンはオノヨーコという女性に心惹かれるようになったのだそうです。

因みにこのエピソードについて、ジョン自身は以下のように回想しています。

「もし”No”とか『インチキ』みたいな意地の悪い言葉が書かれていたら、すぐに画廊を出て行ったよ。でも”YES”だったから僕は『これはいけるぞ、心温まる気持ちにさせてくれる初めての美術展だ』と思ったんだ」

引用:https://plginrt-project.com/adb/?p=22398

「ビートルズバッシング」をはじめ、様々な苦悩を抱えていたジョンにとっては、作品のなかで全ての事柄を肯定的にとらえるオノヨーコの「YES」という言葉に感銘を受けたのではないでしょうか。

MUSIC LIFE ジョンとヨーコのバラッド

二人は1969年に結婚、ジョン・レノンは2度目(前妻:シンシア・パウエル)、オノヨーコさんは3度目の結婚でした。1980128日ジョン・レノンは40歳で殺害されています。

オノヨーコ作品『yes』の評価

 

View this post on Instagram

 

A post shared by Cass Espitia (@ez_dreams) on


オノヨーコとジョン・レノンが出会ったきっかけとなった作品である『天井の絵』は「イエス・ペインティング」という名前でも知られており、独特な作品のスタイルとエピソードから、オノヨーコの代表的な作品の1つといえます。

オノヨーコが前衛的な芸術家として活動し始めた1950~60年代の日本では、赤瀬川原平などといったアーティスト達による「前衛的アート」自体は存在していました。

しかし、現在のようにメジャーではなく、人々に受け入れられなかったことから、評論家をはじめ、世間的な評価も低かったとされています。

オノヨーコの『グレープフルーツ』とは

数あるオノヨーコの作品のなかでも、極めて現実的で衝撃的な一面を持つものに『グレープフルーツ』という作品があります。

こちらの作品は、1964年に東京で500部限定で出版されたもので、禅問答にも似た命令口調の文章が並んでおり、読者のイメージを以てアートが完成するというスタイルが特徴です。

1970~2000年代には再販・再翻訳もされており、現在では『グレープフルーツ・ジュース』という再翻訳・再録本が販売されています。

「この本を燃やしなさい、読み終えたら。」

「みんな家に帰るまで隠れなさい。みんなあなたのことを忘れるまで隠れなさい。みんな死ぬまで隠れなさい」

引用:https://ja.wikipedia.org/

このように、衝撃的でありながら、読むたびに何かがこみ上げてくるような言葉の数々が現在でも多くの読者を虜にしています。

読者の口コミでは、おもしろい、読む人の解釈による、という声があります。

「読み終わったら燃やしなさい、と書いてあったけど、燃やしません。
なぜか燃やしたくないです。」

 

「この本を開くと、丁寧なゆっくりとした時間が流れます。
短い文章のひとつひとつに、想像が広がります。
どこか違う空間に連れて行ってくれるんですよね。
オノヨーコさんは、やっぱりすごい。
あの人が存在していると思うと、なんかパワーが出ます。」

 

「ジョンレノンのワイフだからという事しか知らない
食わず嫌いの方に 是非呼んで頂きたい一冊。」

引用:https://review.rakuten.co.jp/item/1/213310_10695219/1.1/

 

オノヨーコとジョンレノン『ベッドイン』とは

 

View this post on Instagram

 

A post shared by michelle my belle (@lennonslament) on

オノヨーコとジョンレノンは、結婚を期に2人での活動を行うことも少なくありませんでした。

結婚前後に行われた2人の平和活動を目的としたパフォーマンスは当時、世間の理解を得られず「ビートルズを解散させた女」とオノヨーコさんは中傷や批判を受けることもありました。

なかでも特に有名なのが、1969年3月・6月に実施された『ベッド・イン』と呼ばれる平和活動パフォーマンス。

2人のハネムーンがマスコミによって話題となっていた結婚当時、世間ではベトナム戦争の最中であったことから、マスコミの盛り上がりを平和を宣伝する機会に利用しようと考えて誕生した活動であるとされています。

この動画はオノヨーコさんの公式Youtubeチャンネルに公開されいる『BED PEACE』1969年5月26日〜31に行われたイベントのドキュメンタリーです。

アムステルダムの『ヒルトン・ホテル』、モントリオールの『クイーン・エリザベス・ホテル』の2か所で行われており、活動内容としてはホテルの一室に記者を招き、平和についてジョン・レノンとオノヨーコとともに語り合うというもの。

オノヨーコとジョンレノンの子供

 

View this post on Instagram

 

A post shared by Sean Ono Lennon (@sean_ono_lennon) on


オノヨーコとジョン・レノンには1975年の10月に誕生したショーン・タロー・レノン(日本名:小野太郎)という子供がいます。

名前の由来は、別居中だったジョンとヨーコ夫妻の関係修復に一役買ったというエルトンジョンとオノヨーコがアイルランド・日本のそれぞれににおけるポピュラーな名前を選んだからなのだそう。

息子ショーンは母親と仲はとても良い様子。カルチャー雑誌『NERO ART & ROMANCEの表紙をオノヨーコさんと息子のショーンさんが飾りました。

現在はソロのミュージシャンとして活動しており、大好きな日本のアニメのエンディング曲を担当したり『徹子の部屋』をはじめとした数々のメディアにも出演するなど、多彩な活動をおこなっています。

2017年、米音楽協会の100周年記念賞をジョンレノンさんの「イマジン」が受賞した際に車椅子で公の場に出たオノヨーコさんの姿が公開されてます。

動画がこちら。息子のショーンさんと。

オノヨーコの子供はもう一人

 

View this post on Instagram

 

A post shared by ✨O And V✨ (@strawberri.fields.forever) on

独特の活動内容や波乱万丈の人生を歩んできたオノヨーコですが、実はショーンだけでなく、キョーコ・チャン・コックスという名前のもう一人の子供もいます。

キョーコは、アンソニー・コックスというアメリカの映像作家との間に誕生した女性で、オノヨーコがアンソニー・コックスとの離婚後、一切の連絡を取ろうとしなかったのだそう。

また、ヨーコ自身もキョーコのことは公にしなかった期間が長かったこともあり、世間的には存在自体があまり知られていませんでした。

しかし、キョーコが出産する時「子供におばあちゃんとの接点がないのは不憫」という理由からオノヨーコと連絡をするようになったとされています。

オノヨーコの名言5選


フライ /ヨーコ・オノ

アーティストであり、平和活動も行うオノヨーコさんは、多くの名言・格言を残しています。その中の5つをご紹介します。

Each time we don’t say what we wanna say, we’re dying.
(言いたいことを言えなかった、そのたびに私たちは死んでゆく。)

Every moment in our lives is a miracle we should enjoy instead of ignoring.
(私たちの人生のすべての瞬間は、ただやり過ごすのではなく楽しむべきミラクルなのです。)

You change the world by being yourself.
(自分らしくあることで、あなたは世界を変えることができるのよ。)

War is over if you want it.
(あなたが願えば、戦争は終わる。)

「大人が、『やりたいことで食べていけるほど世の中は甘くない』と言って、一つの職業に固執し融通が利かなくなるのは、ただ臆病なだけではないでしょうか。」

ラブ&ピースを大切にするオノヨーコさんらしい、愛の溢れる名言が多くありました。

1980年、ジョン・レノンさんが凶弾に打たれてしまったあとも、音楽活動や芸術活動を続けていたオノヨーコさん。2009年にはヴェネツィア・ビエンナーレで「もっとも影響力を持つアーティストのひとり」として生涯業績部門の金獅子賞を受賞しました。

オノヨーコさんは現在も、ツイッターで力強い言葉を発信し続けています。

タイトルとURLをコピーしました