手塚治虫作品一覧【年代別】作品数が多すぎ!何歳の頃の作品かわかりやすく

手塚治虫作品は日本の漫画の歴史と言っても過言ではない偉大な漫画家。1928年に生まれ1989年になくなるまで60年の人生の間に手塚治虫先生が描いた作品の数とは?

年代別に手塚治虫作品の一覧をどうぞ!

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手塚治虫の作品数がすごすぎる


国内初のテレビアニメシリーズを作り、多くの漫画家に影響を与えた手塚治虫さん。1928年11月3日に生まれ、1989年2月9日、60歳のときに病気のため亡くなっています(胃ガンだったと報じられました)。手塚治虫さんの最期の言葉は「頼むから仕事をさせてくれ」だったというので漫画家という仕事をいかに熱中されていたかわかります。

闘病中、意識が途切れ途切れになっても鉛筆を持とうとするのを止めなかった手塚治虫さんは、新しいアイデアが次々と出てくるのに手が足りない、と発言するほどの驚異的な発想力を持っていました。仕事を滅多に断らず、最多7本もの連載を掛け持ちしていたという伝説が残っています。


生涯で描いた漫画原稿は約15万枚。これまで作品化されたのはなんと604作品。細かいシリーズなどを入れると700タイトル以上とも言われています。そんな手塚治虫さんの作品を年代別にご紹介していきます。

1940年代作品


手塚治虫さんが10代から20代に描いた作品。

1946年
マアチャンの日記帳、ヤマビコ、AチャンB子チャン探險記、珍念と京ちゃん

マアチャンの日記帳は、大阪毎日新聞の小学生版にあたる『少國民新聞』に連載された作品。手塚治虫さんの正式なデビュー作です。

1947年
思ひ出のアルバム、怪人コロンコ博士、怪盗黄金バット、火星博士、キングコング、新寶島、ゾウさんのスケート、タカラジマ、探検ブンチャン、百年后の宝塚見学、バラ合戦、ファインロマンス、マノン・レスコオ、モモーン山の嵐(現物は発見されていません)、THE・MAN、オバケ、シカヘシ、ものぐさトンちゃん、バット博士とジム(子ども向け絵本)

新寶島は40万部を超えるベストセラーを記録した伝説のデビュー長編作。当時4ぺージ程度が当たり前の時代に200ページを超えるボリュームで出版され、短くて単純だった漫画の常識を打ち破った作品。

1948年
一千年后の世界、火星探検隊、月世界紳士、吸血魔團、ジャングル魔境、ターザンの秘密基地、大空魔王、探検ぶんちゃん、地底国の怪人、魔法屋敷、森の四劍士、流線型事件、妖怪探偵團、ロストワールド、20のトビィ、Qチャンの捕物帳、HAPPYNEWYEAR、グッちゃんとパイコさん

地底国の怪人は、当時の漫画作品に見られなかった主人公級の登場人物が死亡するという要素を取り入れて話題になりました。

1949年
奇蹟の森のものがたり、空氣のたらぬ國、拳銃天使、少年探偵ロック・ホーム、ターザンの王城、ターザンの洞窟、ハンスと金のかみの毛、メトロポリス、有尾人、ロック・ホームの冒険、ぎっこちゃんまっこちゃん、ぴんぴん生ちゃん、象のくしゃみ

メトロポリスは初期SF3部作の1つ。デビュー前に描かれた「幽霊男」の一部が使われています。同作のアニメーション映画が2001年に公開されました。

1950年代作品

手塚治虫さんが20代から30代に描いた作品。

1950年
黄金都市、くるったジャングル、カノコの応援團長、ジャングル大帝(1950年~1966年)、タイガー博士の珍旅行、鳩時計事件、ファウスト、ふしぎ旅行記、平原太平記、漫画大學、足あと温泉、きつねのさいばん

ジャングル大帝は漫画少年の看板作品として連載し、4度にわたりアニメ化されました。白いライオンは西武ライオンズのマスコットとして採用されています。

1951年
アトム大使、化石島、来るべき世界、サボテン君(1951年~1954年)、新世界ルルー、新編月世界紳士、地球トンネル、珍アラビアンナイト、凸凹牧場、鉄腕アトム(1951年~1981年)、バンビ、ピピちゃん(1951年~1953年)、冒険狂時代(1951年~1953年)、ウォルト・ディズニー物語(子ども向け絵本)

鉄腕アトムは、アトム大使の登場人物だったアトムを主人公として連載しました。アニメ第1作は平均視聴率30%を超え出版された本の数は1億冊を突破しています。

1952年
火山島少年、火星からきた男、化石人間、化石人間の逆襲、サボテン! 銃をとれ、大自然と空想(1952年~1953年)、凸凹剣士、ピストルをあたまにのせた人びと、ピノキオ、ピピちゃんの冒険、ぼくのそんごくう、ほろ馬車くん、摩天楼小僧、漫画教室(1952年~1954年)、ミーチャン、ロック冒険記、私のページ、ワン公月へ行く、おばけジャングル、宇宙旅行、チャッカリくん、あわてみみちゃん(子ども向け絵本)、おかあさんの足(子ども向け絵本)

ぼくのそんごくうでは、ある出版社が手塚治虫さんを連れ出し、行方不明になってしまったため、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、藤子・F・不二雄、藤子不二雄Ⓐが代筆したトキワ荘版が存在します。このエピソードはそれぞれの視点で漫画化されています。

1953年
宇宙狂想曲、快傑シラノ、銀河少年、太平洋X點、罪と罰、ドローン城物語、犯人当て大懸賞、豆大統領(1953年~1954年)、村の踊り子、山小屋の灯、レモン・キッド、13の秘密、38度線上の怪物、うたえペニーよ、リボンの騎士・少女クラブ版(1953年~1956年)、氏神さまの火、ぐっちゃん、たみちゃん兄妹

リボンの騎士は手塚治虫さんが20代に描いた代表作の1つ。男の心と女の心を持つ主人公サファイアは、少女漫画で初めての戦う少女と言われています。

1954年
銀河少年、黒い峡谷、ケン1探偵長(1954年~1956年)、後藤又兵衛、世界を滅ぼす男、丹下左膳(1954年~1955年)、地球の悪魔、鉄路の白バラ、夏草物語、はりきり弁慶、フォード32年型、火の鳥・黎明編(漫画少年版1954年~1955年、COM版1967年)、私のらくがき、ワンダーくん(1954年~1955年)、シルクハット物語、ナスビ女王(1954年~1957年)、龍が淵の乙女(1954年~1955年)、ロビンちゃん、しらゆきひめ、さようなら福井英一先生、鳥よせ少女

火の鳥は手塚治虫さんがライフワークと位置付けた代表作。古代から未来まで、地球や宇宙を舞台に物語が描かれています。

1955年
いのちの豆じしゃく、うめぼし陰謀団、風之進がんばる(1955年~1956年)、前世紀星(ロスト・ワールド)、大洪水時代、流星王子、赤い雪、あらしの妖精(1955年~1957年)、孔雀石、そよ風さん(1955年~1956年)、とんから谷物語(1955年~1956年)、ナスビ女王と宝石、第三帝国の崩壊、昆虫少女の放浪記、最後の一戦、せむしのこうま、ぼくはにんじゅつつかい、あんてな一家(1955年~1956年)、文化のスピード、びいこのおもり(子ども向け絵本)

 

1956年
あらしの前のものがたり、宇宙空港、おお! われら三人、オリオン137星、風之進がんばる、来るべき人類、金のうろこ、くろい宇宙線、光速旅行時代、指令! 午前7時、探検時代、珍さるかに合戦の真相、火の鳥(少女クラブ版1956年~1957年)、漫画生物學(1956年~1957年)、緑の猫、ライオンブックスシリーズ・おもしろブック(1956年~1957年)、つるの泉、虹のとりで(1956年~1957年)、ひまわりさん、虻須虎家、パントマイムにこった男、兵隊貸します、白いくびの子がも、ちらかしくん、ぐっちゃん、テリヤくん、くろ耳ちゃん(子ども向け絵本)、すずむしひめ(子ども向け絵本)

 

1957年
あざらしにとっつかれた日、黄金のトランク、おかあさんの足、奇妙な大旅行(1957年~1958年)、恐怖山脈(地球劇場1)、双生児殺人事件(地球劇場2)、狂った国境(地球劇場3)、ケン1探偵長(くも屋敷の鍵穴)、荒野の弾痕、旋風Z(1957年~1958年)、地球大戦(1957年~1958年)、南極はいまにこうなる、白骨船長、人食岬の決戦、ひょうたん駒子、複眼魔人、漫画中学(1957年~1958年)、漫画天文学(1957年~1958年)、こけし探偵局、母の眼ばなし、ピンクの天使(1957年~1958年)、舞踏会へ来た悪魔、ミニヨン、雑布と宝石、チッポくんこんにちは、締切り十日前に原稿ができたら?、かりゅうどばちのおはなし(子ども向け絵本)、びいこちゃん(子ども向け絵本)

 

1958年
ケン一探偵長(1958年~1960年)、これが宇宙人だ!!(フラフープ族)、ジェット基地の幽霊、ジャングルタロ、スーパー太平記(1958年~1959年)、ハリケーンZ、ファーブル先生の虫物語、フィルムは生きている(1958年~1959年)、未来をのぞく3人、カーテンは今夜も青い、双子の騎士(1958年~1959年)、みどりの真珠、真田ヒモてん末記、お山の三五郎(1958年~1959年)、びいこちゃん、ピンピン生ちゃん(1958年~1959年)、月ロケット、旋風Zのゆめ

 

1959年
ジェットキング、スリル博士、刹那、どんぐり行進曲、花とあらくれ、光、ベニスの商人、ぼくのはつゆめ月世界旅行、魔神ガロン(1959年~1962年)、みんながおとなになったとき、らくがき事典、落盤、0マン(1959年~1960年)、あけぼのさん、白くじゃくの歌、骨、週間探偵登場(1959年~1961年)、こだまちゃん(1959年~1960年)、とべとべるんちゃん、電子夫人(1959年~1960年)、かにとへび(子ども向け絵本)、じゃっくとまめのき(子ども向け絵本)、白ゆきひめとおうじさま(子ども向け絵本)、つるのおんがえし(子ども向け絵本)

0マン週刊少年誌で手塚治虫さん自身、初のヒット作。あとがきには「ジャングル大帝と並べたいほど大きな物語となり、自信を持って描き続けている」と記しています。

1960年代作品

手塚治虫さん30代から40代に描いた作品。

1960年
おれは猿飛だ!(1960年~1961年)、火星物語、キャプテンKen(1960年~1961年)、だれかが狂ってる!、月のうらがわ、はつゆめ一家、火の谷、秘密指令第3号、ピロンの秘密(1960年~1961年)、エンゼルの丘(1960年~1961年)、野ばらよいつ歌う(1960年~1961年)、リンリンちゃん、らびちゃん(1960年~1961年)

横暴な地球人に立ち向かう謎の少年、キャプテン・ケンの正体は誰か?という懸賞が行われ、4万通近くの応募者の中で正解したのは4名のみでした。そのうちの1人は手塚治虫さんのプロダクションにアニメーターとして入社してきたという逸話があります。

1961年
アリと巨人(1961年~1962年)、宇宙サーカスがやってきた、オズマ隊長(1961年~1964年)、白いパイロット(1961年~1962年)、ドースン一家の記録、ナンバー7(1961年~1963年)、人間のせんぞ、人間牧場、伴俊作まかり通る、ふしぎな少年(1961年~1962年)、ボンゴ(1961年~1962年)、火の輪、くろちょろのぼうけん、ごめんねママ(1961年~1963年)、のっことぽろ(1961年~1962年)、おはなじまんのえれちゃん(子ども向け絵本)

ナンバー7はアニメ化を検討されていたものの、他社で酷似した設定のアニメーション映画が企画されていたため産業スパイがいるのではないかという疑惑「W3事件」にまで発展。大幅に内容を変えることとなり、4年後の1965年に「W3(ワンダースリー)」が誕生しました。

1962年
宇宙からのSOS、火星開拓村のお正月、太陽がさかさまだ、鉄の道(1962年~1963年)、バックネットの青い影、羽と星くず、星のコンクールにいった子、ほんのちょっぴり物語(1962年~1963年)、みどりの地平線、勇者ダン、2から2を消せば2、野ばらの精、ヨッコちゃんがきたよ!、こぐまのブブ、死戯山縁起絵巻
1963年
悪魔の音、最後はきみだ、新選組、タイムマシンがぶっこわれた!、タツマキ号航海記(1963年~1964年)、バチス号浮上せず、ビルの中の目、ビッグX(1963年~1966年)、光線銃ジャック、SFファンシーフリー(1963年~1964年)、リボンの騎士(なかよし版1963年~1966年)、宇宙から男が…、おいつめられた男、クラインの壷、午後一時の怪談、ロップくん(1963年~1965年)

テレビアニメ化をしたビッグXは東京ムービー(トムス・エンタテインメント)の初制作作品です。

1964年
偉大なるゼオ、ハトよ天まで(1964年~1967年)、よろめき動物記(1964年~1965年)、わが名は百科、ボンゴ、らびちゃんつきへいく(子ども向け絵本)
1965年
ジャングル大帝とヒゲオヤジ、どうなるくん、マグマ大使(1965年~1967年)、W3(1965年~1966年)、大日本帝国アメリカ県、スター・ダスト、レオちゃん
1966年
バンパイヤ(1966年~1969年)、フライングベン、華麗なるユーウツ、タダノブ、品川心中、やぶれかぶれ、われ泣きぬれて島と、なぜ選挙区の上で人工衛星をとめた

バンパイヤは1968年10月にフジテレビでテレビドラマ化しています。水谷豊さんのデビュー作でもあります。

1967年
どろろ(1967年~1968年)、火の鳥・未来編(1967年~1968年)、リボンの騎士(少女フレンド版)、タイムマシンのみこと、人間ども集まれ!(1967年~1968年)、PARIS・モントリオール万国博、日付け健忘線、ガムガムパンチ(1967年~1969年)、ジャングル大帝 進め!レオ

暗く、陰惨な雰囲気の漫画、どろろは当時読者に中々受け入れられませんでしたが、カルト的なファンも生み出した作品。小説家の大沢在昌さんが最も好きな作品と語っています。

1968年
グランドール、シャミー1000、机の中へこんにちは、ノーマン、八丁池のゴロ、ブルンガ1世(1968年~1969年)、火の鳥・ヤマト編(1968年~1969年)、まんが大学、三つのスリル、ミニミニ履歴書、上を下へのジレッタ(1968年~1969年)、おそすぎるアイツ、空気の底シリーズ(1968年~1970年)、ジョーを訪ねた男、処刑は3時におわった、地球を呑む(1968年~1969年)、生麦事件、ヌーディアン列島、ヒョーロク記 宇宙のスフィンクス、ヒョーロク記、嚢、野郎と断崖、夜の声

空気の底シリーズは14作品がそれぞれ独立した短編作品。手塚治虫さん自身はこのシリーズを気に入っており、いずれの作品も長編に成りうると語っています。

1969年
海のトリトン(1969年~1971年)、鬼丸大将、がらくたの詩、黄色魔境、虎人境、ザ・クレーター(1969年~1970年)、冒険ルビ、火の鳥・宇宙編、鳳凰編(1969年~1970年)、0次元の丘、7日の恐怖、緑の果て、I.L、アポロはなぜ酔っ拂ったか、異法人、うろこが崎、カメレオン、苦情銀行、暗い穴、暗い窓の女、グランドメサの決闘、サイテイ招待席(1969年~1970年)、そこに穴があった、電話、時計仕掛けのりんご、猫の血、バイパスの夜、わが谷は未知なりき、冒険ルビ(1969年~1970年)、ぽっかち、コンピューター・パニック、大学を幼稚園にするである!!、フォアカード、ぼくのアイデア月世界

海のトリトンは高年齢層に人気を博した作品で、アニメブームを牽引した存在です。日本で初めてテレビアニメのファンクラブがファン主体で作られたとも言われています。

1970年代作品


手塚治虫さんが40代から50代に描いた作品。

1970年
赤の他人、アバンチュール21(1970年~1971年)、アポロの歌、アラバスター(1970年~1971年)、がちゃぼい一代記、ガラスの城の記録(1970年 – 1973年 未完)、我利バー公害記、黒い河、トキワ荘物語、ボンバ!、火の鳥・復活編(1970年~1971年)、やけっぱちのマリア、やじうまマーチ(1970年~1971年)、2001年テレビ時代、ふしぎなメルモ(1970年~1972年)、一族参上、カタストロフ・イン・ザ・ダーク、きりひと讃歌(1970年~1971年)、現地調査、声、すっぽん物語、聖女懐妊、大暴走、蛸の足、地下壕、ドオベルマン、ながい窖、七日の恐怖、人間昆虫記、万博ハプニングガイド、紐、フースケ風雲録、二人は空気の底に、ロバンナよ、ぼうけんルビ、大宇宙のお正月

ふしぎなメルモは元々ママァちゃんというタイトルでした。アニメの方は、子供達向けの性教育を意図した作品として有名。

1971年
あかずの教室、安達が原、お常、おはよう! クスコ(1971年~1972年)、ガラスの脳、コラープス、女郎蜘蛛、白縫、新聊斎志異シリーズ(1971年、1987年)、バカ一、百物語、ブタのヘソのセレナーデ、火の鳥・羽衣編、望郷編(COM版1971年~1972年、マンガ少年版1976年~1978年)、モモンガのムサ、ライオンブックスシリーズ(少年ジャンプ1971年~1973年)、ワンサくん(1971年~1972年)、ZEPHYRUS、熟れた星、巨人と玩具、ゲーム、鳥人大系(1971年~1975年)、という手紙がきた、都会の孤島、反射、笑う男、今年こそ公害を追放しよう!!、紳士録出版者の自殺
1972年
おふくろの河、月世界の人間、荒野の七ひき、サンダーマスク(1972年~1973年)、成功のあまきかおり、ダスト8、月と狼たち、角、でんでこでん、どろだらけの行進、ぬし、春らんまんの花の色、ブッダ(1972年~1983年)、魔の山、マンションOBA、耳鴉、ミューズとドン、奇子(1972年 – 1973年)、イエロー・ダスト、孤聊、サロメの唇、白い幻影、角、出ていけッ!、負け女郎、最上殿始末、山棟蛇、夜の客、ラインの館にて、料理する女、日本列島害造論

ブッダは仏教をテーマとした物語で、実在した人物とオリジナルキャラが入り乱れる独特の世界観が特徴です。2010年で単行本発行部数が2000万部を超えており、アメリカでも高い評価を受けています。

1973年
悪右衛門、海の姉弟、奇動館、ゴッドファーザーの息子、チッポくんこんにちは、動物つれづれ草(1973年~1974年)、ハヌマンの冒険、はるかなる星、ひとでの秘密、ブラック・ジャック(1973年~1983年)、火の鳥・乱世編(COM版1973年、マンガ少年版1978年~1980年)、ミクロイドS、ユフラテの樹、ロロの旅路、悪魔の開幕、大松右京のラプソディ、ゴミ戦争、ステロタイプ、刑事もどき、ばるぼら、ペーター・キュルテンの記録、もの憂げな夜、レボリューション

ブラック・ジャック医師免許を所持していた手塚治虫さんの知識を活かした作品。手塚治虫作品に登場するキャラクターが俳優のように出演する、スターシステムが特徴です。

1974年
雨のコンダクター、おけさのひょう六、紙の砦、カンパチ(1974年~1975年)、ジャムボ、すえっ子トントン他、タイガーランド、日本発狂、三つ目がとおる(1974年~1978年)、一輝まんだら(1974年~1975年 打ち切りにより未完)、カノン、鉄の旋律(1974年~1975年)、シュマリ(1974年 – 1976年)、超能力の幼児開発

三つ目がとおるは、当時のオカルトブームを意識した作品。ブラック・ジャックとともに評価され、第1回講談社漫画賞を受賞しました。

1975年
雨ふり小僧、ぐうたろう千一夜、原人イシの物語、すきっ腹のブルース、ずんべら、大地の顔役バギ(1975年~1976年)、平均さん一家の30年のアルバム、低俗天使、フィッシャー、ヤジとボク、虹のプレリュード、セクソダス、親の恩を忘れるなよ、そらとぶラビ(子ども向け絵本)、ビス・ビス・ビス星ものがたり(子ども向け絵本)、ふたつのもものみ(子ども向け絵本)
1976年
ウオビット、ザムザ復活、すべていつわりの家、大将軍森へ行く、どろんこ先生、走れ! クロノス、べんけいと牛若、メタモルフォーゼシリーズ(1976年~1977年)、四谷快談、ユニコ、人身御供、MW(1976年~1978年)、ピーナツ事件、わかっちゃいるけどむずかしい、私の宝・わが家の宝、えきほすのはなし(子ども向け絵本)、かたはぐるまのはなし(子ども向け絵本)、さだきちのはなし(子ども向け絵本)

同性愛と猟奇殺人を題材としたMWは手塚治虫作品の中では異彩。担当が時間がないからと、チェックの済んでいない原稿を持っていってしまい、拝啓が真っ白で掲載されてしまいました。よほど悔しかったのかアシスタントの前で手塚治虫さんは涙してしまったと言います。

1977年
聖なる広場の物語、珍イソップ物語、てんてけマーチ、宇宙給食チューブの故障、くるま110バンこちらJAF(1977年~1978年)
1978年
ころすけの橋、未来人カオス、’78漫画大予測文化教育
1979年
インセクター、ドン・ドラキュラ、二人のショーグン、マコとルミとチイ(1979年~1981年)、モンモン山が泣いてるよ、るんは風の中、どついたれ(1979年~1980年)、火の山、パンサーを探せ、かわいそうなゾウ(子ども向け絵本)

現代社会に生きるドラキュラの姿をコミカルに描いたドン・ドラキュラは、アニメ化もされました。ほとんどギャグのドタバタな物語は、手塚治虫さん自身も楽しんでいたと言います。

1980年代作品


手塚治虫さんが50代から60歳で亡くなるまでに描いた作品。

1980年
火の鳥・生命編、山太郎かえる、こじき姫ルンペネラ、あの子は宇宙人?(子ども向け絵本)
1981年
いないいないばあ、グロテスクへの招待、さらばアーリイ、七色いんこ(1981年~1983年)、火の鳥・異形編、陽だまりの樹(1981年~1986年)、もえよドラゴン(子ども向け絵本)

七色いんこは、役者泥棒の七色いんこと彼を追う女刑事、千里万里子の物語。2000年、2018年に舞台化されています。

1982年
タマサブローの大冒険、ダリとの再会、プライム・ローズ(1982年~1983年)、山の彼方の空紅く、サスピション、TVマンガ、犬づくし(子ども向け絵本

プライム・ローズはSF漫画の連載を希望していたのが、当時の編集長から難色を示されたため、流行りのラブコメを意識した作品。しかし、感情が先走って物語の一貫性がなくなったため、作品はあまり評価されず、手塚治虫さん自身も気に入ってはいませんでした。

1983年
はなたれ浄土、アドルフに告ぐ(1983年~1985年)、どくたあとゆかいな仲間たち、1コママンガ2点、マイコン族、セーターさわぎ(子ども向け絵本)

アドルフに告ぐは、2人のアドルフが巨大な歴史の流れに翻弄される歴史漫画作品で、手塚治虫さんの後期の代表作。第10回講談社漫画賞一般部門を受賞しています。

1984年
牙人、のらくろもどき、自由の大仏、ねずみ浄土(子ども向け絵本)
1985年
お客さまは悪魔です、ゴブリン公爵(1985年~1986年)、ブッキラによろしく!、やまなし 宮沢賢治漫画館、夜よさよならアディオスノーチェス、1985への出発、1コマ漫画、いばら姫(子ども向け絵本)
1986年
アトムキャット(1986年~1987年)、ヒゲオヤジ、お茶の水博士、火の鳥・太陽編(1986年~1988年)、ミッドナイト(1986年~1987年)、21せいきのフクちゃん、海のむかしむかし(子ども向け絵本)

ミッドナイトは、ブラック・ジャックが途中からセミレギュラーとして登場し、物語に関わっていくことからブラック・ジャックのスピンオフ作品ではと推測されています。数々の伏線を残したまま、手塚治虫さんが入院したために連載が終了。手塚治虫さん最後の週刊漫画雑誌での連載作品となりました。

1987年
健康家族シリーズ(1987年~1988年)、ルードウィヒ・B(1987年~1989年、絶筆により未完)、グリンゴ(1987年~1989年、絶筆により未完)、叩建異譚、広告マンガ、たび(子ども向け絵本)、だれの角だろう?(子ども向け絵本)
1988年
ネオ・ファウスト(1988年、絶筆により未完)

グリンゴ、ルートヴィヒ・B、ネオ・ファウストの3つは手塚治虫さんの遺作となってしまい、未完のまま。

胃がんで亡くなった手塚治虫さんは、痛み止めを打ちながら手が動かなくなるまで原稿を描き続けていたと言います。実際にベッドの上で描かれたものが雑誌に掲載されていました。

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